航海記録


|八丈島から鎌倉へ 黒瀬航海 2008年|

10年以上前、八丈島で、海世界に出会い、私の海生活が始まりました。
自分の第二の故郷です。

鞭のようにしなる黒潮がぶつかる伊豆七島の海を、
シーカヤックという道具で触れてみたいと思いました。 

シーカヤックを使ってこの海域を横断した記録はなく、日本初の試みです。

【活動概要】

遠征遂行者:八幡暁 
活動地域 :八丈島~鎌倉(神奈川県)
活動期間 :2008年5月28日 ~ 6月8日まで

外部リンク


タイトル #1 タイトル #2 タイトル #3 タイトル #4 タイトル #5 タイトル #6 タイトル #7 タイトル #8 タイトル #9 タイトル #10 タイトル #11 タイトル #12 タイトル #13 タイトル #14 タイトル #15 タイトル #16

 


Great Seaman Project 八丈島~鎌倉

これは、2008年6月に行った八丈島~鎌倉縦断のレポートである。

はじめに

八丈島で素潜りする男に魅せられ海へ行くようになってから、もう10年以上が経っていた。
初めて潜った海の青、島を愛する人々との関わりで始まった僕の海の生活。
まだ足ヒレのみで海と向き合っていた頃を、今も鮮明に覚えている。
八丈島。
ここは大事な一歩を踏み出した場所だった。
自らが海と向き合える道具シーカヤックという足で、世界の海の民に出会いたい、
という気持ちからスタートしたグレートシーマンプロジェクト。
今回の行程は、その舞台にふさわしい海旅になると思った。

八丈島から鎌倉までの間に、どんな海が待っているのだろう。
人力で渡るには、どういった力が必要なのか。
大昔の人は、長年、その土地に住み、気象の特徴を学び、海に出ていた筈だ。
おじいちゃんからお父さん、そして孫へと経験は受け継がれ、積み重なっていく。
海で死なない為の最善の手段。
現代では、現地に住んでいなくとも、その土地の一面を学ぶことが出来きる。
伊豆七島とは、どういう海なのか。今まで渡った黒潮とどう違うのか考えてみた。

①トカラ列島海域

屋久島と奄美大島の間に連なるトカラ列島海域で、黒潮は大きく蛇行する。
沖縄、奄美の西沖を北上していた海が、トカラ列島で東に流れを変え、本州の南に入りこむ。
そのため、トカラ列島十島村は、黒潮の影響を直接受けることになる。
この海を渡る為には、横から来る黒潮に対して、カヤックは縦に移動しなくてならない。
30kmのフェリーグライドになり、この間、手を休めれば、太平洋に流れる。
漕げなくなる事態になった場合のリスクが、普通の海より高い。
流れている海に、流れの反対から風が吹けば、当然、波が崩れる。波への対応も必要だ。
時速6km、12時間連続で漕ぐ、ということが最低限の基準になる海といえる。
夜間航行に突入する可能性は少ない。黒潮の横断の中でも、最も優しい海である。

pagetop

②台湾と与那国島を分断する台湾海峡

台湾から与那国島の最短距離は約110㎞。
ここは、トカラ列島と同じく、流れを横から受けての横断になる。
違うところは、距離が長く、必ず夜間航行に突入すること。
トカラ列島より流れが速く、動く海の水の量が大きいこと。
動く水のパワーが大きいということは、荒れた時のパワー、流れの速さ、
海底の起伏による影響が大きくなることを意味している。
ここの黒潮本流は時速7kmで北に流れていた。
つまり台湾~与那国島へ渡っている途中、人力で南下はほぼ出来ない。
北に流されることを、耐えながら東へ移動するしかない。
もし、疲れて休めば、10分で1km以上流される。その流された分は、とり戻せない。
与那国島に到着できず、島を外してしまえば…
移動距離は200kmをゆうに越え、大波の中、海上3泊コースを覚悟しなければならない。
トカラ列島よりリスクが高く、エスケープルートも取りにくく、難しい。

③台湾とフィリピンを結ぶバシー海峡

南シナ海と太平洋という深度3000mを越す深く大きい海を結ぶ海峡がバシー海峡だ。
海峡付近は、数百メートルから数十メートルという浅い海が連続している。
干満の差によって、2つの海がこの狭い海峡で交錯する。
ただでさえ大きな波が立つ条件が揃っているところに、南から黒潮が北上。衝突する。
海の要素が、複雑に絡んでいる海域である。
この猛烈な海のパワーがぶつかり合う海では、ヨットや船も数多く沈んでいる。
木の葉のように進むシーカヤックが、どのように翻弄されるのか。南下は不可能。
島を出れば、北にある島を目指すしか選択肢はない。
夜間航行、引き返し不可能、大波、長距離、世界の中でもかなり厳しい条件が揃った海だ。

④そして、伊豆諸島近海。

特徴は、高速に流れる黒潮が、鞭のように動いていること。
その為、目的地までに費やされる時間、撤退を見極めるライン、
人力で海を乗り越える作戦が立てにくい。
気付かぬうちに、漂流や遭難の可能性が高い海だ。
一定方向に強い流れがあるのなら、乗り越えるための準備が出来る。
それがいかに厳しい条件でも、行けるか、行けないかの判断は容易である。
伊豆諸島の海は、判断の早さが生きて戻る鍵となる。
過去に遡ると、八丈島から島抜けに成功した人は、1836年に1組のみ。
人力で渡った記録はなし。
一方向の流れでない高速に流れる海、80kmという距離を漕ぎぬくには何が必要か。
最悪の状態を、常に頭にいれておくことが大切だ。
目的地へ向かっている時に向かい潮、断念して撤退を開始したら、今度も向かい潮、
ということも考えられる。長時間、スピードをあげた航行になることも覚悟した。

早めの判断を生かす為にも、今の自分の性能を把握する事が求められていた。
自分の漕力、持久力、スピード、夜間や波への対応力、正確に把握する為の準備をする。
無駄な恐怖心の原因にもなる要素をなくしていく。
一か八かで、海に出ることはない。
出発前、生きて帰る確信を持って八丈島スタートの地に立った。

pagetop

270kmの縦断 八丈島出発

八丈島を出発してから2時間、漁師たちが恐れる海域に突入していた。
海上に壁が現れるといわれる海、通称黒瀬。穏やかだったうねりが変化している。
海面の起伏に凸が生まれ、波の高さは、視線の位置を越えるようになっていた。
海面下に海底山脈があるのだ。普段、大海流黒潮が、時速7kmでぶつかってくる場所。
山の周りに上昇気流が生まれ、雲が発生したり、
高層ビル群の間で強風が吹く現象と同じようなことが海中で起こる。
上昇海流、伏流、反流が複雑に生まれていることをイメージしなくてはいけない。
さらに、かつて渡った海の経験に照らし合わせてみる。
フィリピンのバシー海峡、台湾海峡で出会った海底山脈を思い出していた。
当時の海流のスピード、海底の起伏、海面の様子はどうだったろうか。
まだ見知らぬ海にいても、かつて漕ぎ抜いた場所の中から、
同じようなシチュエーションの海をあてはめて、 この先を予測する。
ひとつの海を渡ることは、ひとつの海を渡った(渡れなかった)、
という事実以上に大きな経験が手に入るのだ。
その経験とデータの蓄積が、いつの日か命を守ることになる。
状況は、宮古から久米島にかけて現れる浅瀬に似ていた。
「今、黒瀬には、黒潮本流があたっていない。」
現場に入って僕は確信する。
海上保安庁が公に発表している黒潮情報は、あたっていたようだ。
事前に調べた情報によれば、黒潮は大きく八丈島の南を迂回したのち北上し、
黒瀬付近は、黒潮の反流によって南に流れているということであった。
情報を参考にしても、現場で様子が違うことはよくある話。
気を引き締めて向ったが、情報どおりの様子である。
現場で、闇雲に不安を覚えないためにも、
現場を判断する目と、目を信じる心の持ち様が大切だ。
でないと海から生きて帰る術を見失わせる。

御蔵島へ向かうが、速度が出ない。
静かな海であれば、時速7~8kmペースの漕ぎをしていても、
5km前後の航行スピードであった。
向い潮2~3kmほど。この反流が続けば、20時間ほどで島に到着することになる。
到着予定時間は、午前0時。これなら問題ない。
ただ、ここは鞭のようにしなる黒潮だ。
本流が動きだすことも頭に入れておかなくてはいけない。
もし流れが東へ変われば、やっかいなことになる。
台湾から与那国島へ渡った時のように、
高速で流れる海を長時間フェリーグライドしなくてはいけない。
御蔵島をつかめなければ、銚子方面をめざすことになる。
厳しい道のりではあるが、距離だけ見ればたどり着けない距離ではない。
通常では、逃げ道の選択肢として考える。
しかし今回は、天候が悪化していく予報であったため、
なんとしても長時間の航行は避けなくてはいけない状況であった。

pagetop

判断と作戦

撤退の判断を、通常より早くすることが、今回、生きて戻るための鍵を握っていた。
今5月28日の天気は、日中から夜半まで、高気圧に覆われ晴れだが、
明日には風速15m、波5mの強い低気圧がかかってくる予報だ。
通常ならば、低気圧が去ってから出発するという選択をしていただろう。
しかし、季節外れの台風が日本の南に発生していて、北上することになっていた。
低気圧の通過を待っていれば、次には台風が接近し、
八丈島から一歩も出られずに遠征の撤退を余儀なくされる。
出るなら今日しかない。
そして、明日の未明には、最悪でも陸に上がる作戦を作る必要があった。
出発して6時間経過するまでをターニングポイントとした。

なぜ6時間か。

朝4時に出て、6時間経過すると午前10時。
黒潮の様子から撤退の判断をして八丈島へ引き返せば、
単純に戻るのに6時間、16時に八丈島に戻れることになる。
最悪、さらに6時間かかっても22時。18時間の連続航行では、体力が切れることは経験上ない。
そして、もうひとつのポイント。
東経139度47分より、東に流されるようであれば、即、八丈島に戻ると決めていた。
東に流されれば、前述のとおり黒潮本流に乗りながら銚子をめざすが、
長時間、漕げる気象状況ではないはずなので、このラインはとても重要だ。
北に流れる黒潮本流が北東15mの風にぶつかればどうのような海になるのかは、
海を知らないものでも想像がつくだろう。
進むのか、撤退するのか、初心者であろうが、ベテランであろうが、
この線引きを間違えば自然の中では簡単に死んでしまう。
生きて帰るための段取りや技術を得ることが、
海に出る人に求められる基本であり、すべてといってよい。
ここがスポーツとの違いだと思う。
決められたルールとフィールドの中で、
最大限のパフォーマンスを競う世界の厳しさとは、違う難しさがあるのだ。

pagetop

優しい漁師

黒瀬が荒れることなく、無事に通り過ぎた。
また穏やかなうねに戻り、時速5kmで進んでいく。
遠くに大型の船が見えた。外洋の航行で、向こうが避けてくれることはない。
船首を確認し、どちらに向かって移動しているかを確認する。自分の向かう方向と同じだ。
カヤックの舵をきり、進路を90度変える。しばらくして、船の左舷が見えてきた。
これで船をかわせるだろう。
数分後、船首だけが見えている。
あれ!? 向こうもゆっくり舵をこちらにきっているのだ。まれだが、そういうことがある。
僕は180度、逆方向へ漕ぎ出した。
こちらから、船の右舷を確認できるようになり、ひと安心する。
船が通り過ぎるまで、エネルギー補給をしよう。
パワージェルを口に流し込んでいると、また船がこちらに向って来るのだ。
手を休めても、船とは違う方向に自分は流れているはずだ。GPSで確認する。
間違いない。何かおかしい。
もう一度、船の進行方向に対して90度の方角に逃げる。
また船はこちらを向く。こっちの存在に気づいているのだ! 
遠くから自分の存在を見つけたことは、にわかに信じがたい。
しばらく止まっていると、みるみるうちに近づいてきた。
「大丈夫ですか、どこをめざしているのですか」。マイクで話しかけてきた。
黒潮の海で、ひとりでカヤックに乗る人間を発見し、遭難者だと思っているのだろう。
「大丈夫です、御蔵島をめざしています」。
エンジン音にかき消され、こちらの声はほとんど聞こえないだろうが、
身振りで方向を指差し、OKサインを出す。
理解してくれたようだ。「くれぐれも気をつけてください」。
優しい漁師は、大きな引き波を残して茨城方面へ去っていった。
余談だが、このひき波が、八丈島~御蔵島間でいちばん大きな波となるとは今は知らない。
アリのような存在のカヤックを外洋上で見つけられたのは、これで3度目だ。
1度目は、海上自衛隊であったから、さすが軍隊だ、と感心した。
2度目は、小さな漁船。
この時は、かなり接近してから気づいたようなので、当然といえば当然。
そして今回は、大きな延縄船。
タンカーや漁船の衝突事故は絶えないが、
見ている人は、見ているのだと感心しながら、御蔵島をめざした。

pagetop

緊張感

昼過ぎには、御蔵島の影をしっかりとらえる。
東に流されないことに注意を払いながら進む。単調な海でも、一瞬で変ることがある。
海面の様子はどうだろうか、風に変化はないだろうかと、緊張感は続いていた。
スタートして黒瀬を抜けるまでは、1時間ごとにGPSで自分のポジションと、
流れているスピード、漕いでいる時の速度を確認していたが、
島が見えるころには2時間に一度とした。
このGPSの確認回数を減らした理由は、島が見えたからではない。
緊張は続いているが、漕いでいる海と、自分のイメージが一致していたからである。
GPSという機器に頼ってしまうことで危険が増える、
という意見の人も多いと思うが、僕の考えは逆だ。これは使い方の問題になるだろう。
電子機器を使わず、どんな海でも渡る能力があれば、それに越したことはない。
カヤックに乗る人たちで、異論がある人は少ないと思う。
電話や、GPS、ラジオなどの機器類だけでなく、パドルやカヤック本体、
人体も壊れる道具のひとつである。
道具に頼りきっては、本当のリスクを避けることは出来ない。
では、どうやってどこまでリスク回避能力を身につけるのか。
練習方法や、使う道具も、人それぞれだと思うが、
僕はGPSをリスクを減らす有効な練習道具のひとつとして使っている。
では、どのように使っているのか。
A地点からB地点に行く計画を立て、現場に出る。
自分の狙うコース、イメージしているスピード、B地点までの到着予定時間などが、
現場で間違っていなかったかをGPSで確認する。
着いた時点でシミュレーションと違っていれば、何故、間違っていたかを考える。
風を読み違えたか、波の影響を考えなかったのか、途中で体の不良を考慮しなかったのか。
次のC地点に向う際に、間違っていた結果を検証し修正、もう一度、イメージをして出発する。
次は、思いどおりの結果を得られたとする。GPSを使わずとも、自分のスピードや風、
波の中での方向修正、コースのとり方が、間違っていなかった結果である。
こうした経験を積み重ねることで、同じような海況のもとで漕ぐ場合、
GPSに頼らず自力で海を判断できる可能性が上がっていくことなる。
自分と海に関わるあらゆる事象を理解すべく、自分なりの基準、
物差しを作っていく作業に、GPSを使っているといっていい。
この物差しが、正確になればなるほど、あらゆる機器類が必要でなくなっていく。
人より早く漕げることや、技術的に誰かよりも優れていることなどは、あまり意味がない。
自分なりの物差しを持っていることが、命を失わないために何より重要なことだ。
経験が必要という言葉には、こうした意味があるのだと考えている。
しかし、仮定↓実行↓検証に終わりはない。
物差しはいくらつくっても完成はしないもので、いつの日か不測の事態は起きるものだが、
「不足」の事態が起こるものである、という物差しを得ることで、
また死の淵から少し遠ざかることができるのかもしれない。
禅問答のようになってしまったが、そんな風に思っている。

pagetop

事務局へ連絡

夕方になり、夜になり、順調に進んでいたため、あらためて書くような問題は起きなかった。
海の変化も特別見られなかった。
「今回の黒潮は、本来の姿ではなかったな」「夜の海を始めて漕いだ時は不安だったなぁ」
「昔、荒れている夜の海をよく漕げたなぁ」。そんなことを思い返していた。
時速5kmで進み、休憩時間も鑑みて午前0時に着ければよい、
という始めのイメージしていたとおりになる。
島が接近した時点で、事務局に連絡をする。「もう大丈夫だから」。
こういう旅では、本人より周囲の応援してくれる方々のほうが、心配で大変だと思う。
いつも、ありがたいことです。午後10時過ぎには、御蔵島の港の中に入っていったのである。

三宅島~鎌倉へ

大雨だというのに硫黄の臭いだけが立ちこめている。
火山ガスの状況が島内放送で流れていた。
ここは三宅島、2000年の噴火は記憶に新しい。
2005年には、避難指示が解除され、観光客の受け入れが再開した。
しかし、生活は未だ火山と共にある為、家には、ガスマスクが常備されている。
噴火の被害が大きい地域では、住む事が許されず、崩れかかった家々がたたずんでいた。
自然の力の前では、人はなす術がない事もある。

3日間、海はシケた。気温も下がり、リスクを負って出発する気にはなれなかった。
今回の遠征では、後方には季節外れの台風が接近していた。確実に伊豆七島に向っている。
もし、明日、出られなければ、この遠征はここで終わりになるだろうと考えていた。
それでも良いのだ。海で無理は出来ない。僕は、体を休め、本を読みながら時を待っていた。

pagetop

三宅島4日目

これ以上ないくらいの青空が広がった。出発するには絶好の日。
港から漕ぎ出したカヤックは、加速していく。休養していた為か、体が軽い。
後方を振り返れば、三宅島は噴煙をあげている。山頂が見えたのは初めてだった。
森林限界点には達していないのに、山頂付近に草木が生えていない。
青い空を背景に山が際だち、大きく見えた。これなら、海上で方向を見失う事はないだろう。

前方には、神津島、新島が見えている。
黒潮の反流が流れ込んでいる為、東から西への流れ、もしくは南西への流れが予想された。
西に流される事を危惧して東よりへコースをとれば、
本流に乗って銚子方面に流される事になる。
東に流されるのは最悪だ。
西への流れは大回りになるが、安全を第一とすれば都合が良い。
うまくいけば大島まで70キロメートル、12時間コース。
悪くとも神津島、三宅島に戻れるイメージを作っていく。

神津島まで30キロメートル、漕行速度が時速3キロまで落ちても10時間、
日が暮れる前に着く事になる。
三宅島と神津島の中間地点で、問題が起きても5時間でどちらかに戻れる段取りをする。
この時速3キロというスピードは、過去、酷い船酔いの中、
56時間、飲まず食わずで海を漕ぎ渡った時のスピードである。
漕げなくなった時の基準は、この速度になるだろう。
それより酷い事態に陥る前に、逃げなくてはいけない。
最悪のシチュエーションにならない段階での判断が重要なのは、いつもの事である。
翌日の夕方には、台風の影響で海は時化る。早めの判断がより必要だ。

漕ぎ始めて、島影を抜けると、カヤックは西よりに流されているように感じた。
漕いでいる方向は北。静水面であれば時速8キロ以上のペースのパドリングをしている筈だ。
風は、向かい風だが、カヤッキングに大きく影響するほどではない。
流れていれば、航跡は北西になっているだろう。
今の状況をGPSで確認する。(GPSの使い方は、前号参照)
海は、2ノットで西南西へ流れていた。漕げば、北西へ。イメージはあっている。
波は、崩れることもなく、小さなうねりがあるだけである。スピードは落ちてない。
時間の経過とともに、左手に新島が接近してくる筈だ。
それは気にしなくてよい変化、ということになる。
もし、島の周辺まで流れたとする。どうなるか。
島にぶつかった流れは、北と南に分かれる。この北への流れを捕まえれば最善。
もし、南に流れたら、新島の南を回りこみ、島の西海岸沿いに北上する。
今日の気圧配置からすれば、天候の急変はない。
体の不調が起きないように気をつけることが第一だ。

pagetop

島々を横目に

太陽と青空を浴びて漕ぐ。気温20度。パドラーには最高の天気だ。
石垣島に住んでいるぼくの体には少し寒い。
海は、黒潮の中にいるときのような群青ではなく、少し緑がかっていた。
大型船や漁船の姿は見当たらない。見通しもよい。
新島の南に、真っ白い岩肌が見える。遠目でみても、一際目立つ白ママ断層。
高さが250メートル、7キロメートルにわたって白い壁がむき出しになっているという。
もし、南よりに流されても、近くで見られるのであれば、良いかもしれない。
寄り道している時間はないが、そうなれば、それで良い。

西に流されつつも、しっかり北に向っていた。
新島の東岸に近づく。人が歩いていても見えるような距離になる。
いつしか海は北に流れていた。全てイメージどおりに進んでいる。
利島がもう近くに見える。裏から見える島は、緑に覆われていて、人工物の気配がない。
他の島と少し様子が違う。黒潮の海から飛び出すような姿は、御蔵島に似ている。
小さくて尖っていて、平地がない。
北側にある港では、冬の風が吹く頃、船の接岸が容易ではないだろう。
他の島のように、西と東に一つづつ港があれば、船の就航は安定するが、
島の形がそれを許さないのだろうか。
厳しい自然と共に生きる島へ、いつか行ってみたいと思った。

利島を過ぎれば、海流は北西に変った。
手を休めれば、大島から離れていくが、すでに目の前に大きく迫っている。
暗くなるまでに、沿岸まで辿り着けるだろう。順調にきている。
体の疲労も少ない。島の南西にある港であがるのでなく、北の港まで漕ごうと思った。
明日には台風の影響が出てくる。うねりが大きくなり、午後には波が崩れることも考えられる。
静かな海のうちに、距離を少しでも短くしておく必要があった。
リスクは、出来る限り少なくしておくこと。
休憩を取ることより、距離を縮める事の方が今は重要だ。
夕暮れになり、急速に寒くなってきた。
パドリングジャケットを着こんで、再び漕ぐピッチを上げた。

大島に到着

岡田港に着いたのは、20時20分だった。港には、沢山の人が居る。
出迎えではない。夜釣りをしているのだ。闇夜から現れたぼくを、皆、警戒しているだろう。
「怪しいものではありません」声をだして港の奥、スロープのある場所まで漕いでいく。
体が濡れて寒い。すぐに着替える。自動販売機を見つけ、熱い甘い缶コーヒーを飲んだ。
食道から胃袋に熱い物が流れていくのを感じる。疲れは酷くない。
明日、鎌倉まで行く段取りを確認する。
ぼくは元来、ものぐさだ。そのせいで、失敗も沢山してきた。
失敗を続けるうちに、海に出るときは、慎重に考えるようになっていた。

まず、台風の行方。
どれくらいで海が荒れてくるのか、いつまでに上陸しなくてはいけないのかの線引きをする。
最悪の時は、どこへ流されるのか。体の調子。ゆっくり作戦を考える。
朝早く出発出来るなら、早ければ早い程よい。
午後には三浦半島にへばり付く段取りなら、どうすればいいのか逆算していく。
岡田港から、西には伊豆半島まで25キロメートル、東に房総半島まで40キロ弱、
真ん中に鎌倉まで60キロ、三浦半島の突端であれば40キロ強、となっている。
周囲を囲まれている為、島を外して流される心配は少ない。
60kmが最長距離と考えていい。通常10時間のコースだ。
朝4時に出れば2時には鎌倉に着ける。
お昼までに、半島に着けば、どんな状況になっても遭難することはないだろう。
時速3キロのスピードになっても、房総、伊豆、三浦半島へは、10時間で着ける。
途中、問題が起きても、沢山、逃げ道があるのは有難い。
時間と距離の関係は、シビアではないことがわかった。

船舶の往来が気になる。こちらの方が、厄介かもしれない。
大島周辺は、昼夜問わずに船が走っているだろう。航路の横断。
どの方向に進んでいるのか、船の動きをしっかり見ておけば事故にあわないものだが、
何が起こるかわからない。船の動きは特別、注意が必要だ。
出発前に、台風の動きを確認した。さぁ、早く寝よう。明日の朝は早い。

pagetop

台風の行方

午前1時、ふいに目が覚めた。まだ出発予定まで、3時間ある。
いつもなら、また寝てしまうのだが、今日は違った。
「疲れも取れた、もう出よう」迷いは無かった。
台風が接近してくる事を、一番の危険だと考えていたからだ。
夜の海を漕ぐ事は、何度も経験している。うねりがブレイクする海を夜通し漕いだこともある。
夜の船の往来を回避しながら漕ぎ続けたこともある。過去の経験、練習が、役に立つ。
もし夜の航行に何か不安があれば、出発出来なかった筈だ。
天気が前倒しになり、朝方の出発が、命取りになることだってある。
逃げた場合の段取り、ゴールするコースどりをもう一度イメージした。
熱い缶コーヒーを飲んで、静かにパドルを滑らせていった。

夜だというのに、海が騒がしい。風や波のことではない。水平線に灯りが見える。
船の赤灯、緑灯が移動している様子もはっきりしていた。
星はあまり見えなかったが、方向確認の為の星は必要ない。
方角の目安になる灯りは十分にある。
風とうねりの方向を確認しておくのは、いつもの事だ。
天気の変化を知る術でもあり、灯りがなくなった場合でも、
方角を把握する為に必要な情報でもある。

船だけ気をつけよう。船だけ。
特別な緊張感はなかったが、いつも以上に気を配った。
八丈島から御蔵島という難しい横断を終えて、
気が抜けて最後にトラブル!というシナリオが頭をよぎったからだ。
普段、詰の甘い男と言われ続けているだけに、自分にぴったりのオチのようだった。
5隻の船をやり過ごし、夜が明ける前には航路を抜けた。

目的地へ

空が白んでくると、房総半島が想像以上に近かった。
伊豆の山々も大きい。陸に守られているな、と思った。
外洋の海を渡るときより、気持ちが楽だ。風もうねりも、まだ寝ている。
台風のうねりは、大島がガードしているのだろう。それでも、夕方には海が荒れてくる筈だ。
鬼の居ぬまに洗濯。早く城ヶ島の影に入ろう。
安全海域に着いてから、ゆっくり休めば良いのだから。

午前10時、城ヶ島をかわす。右手に油壺をみながら、ゆっくり漕いでいた。
もう見慣れた海だ。西風、南風が吹くことはない。
うねりが少し届き始めていたが、問題なかった。
不思議と疲労感はない。
久留和海岸で一度上陸し、友人宅で休憩した後、目的地、鎌倉 材木座へ向った。

旅を終えて

こうして旅を終えると、いつも本当に面白かったと思う。
シーカヤックは、海の世界を広げるのに最高の道具だとしみじみ感じる。
多くの人にも経験して欲しいと思うのだけど、
それは、普通の人には出来ないのだよ、と言われたりする。
何事も出来ない理由を探すのは簡単だ。
ぼくも出来ない理由を探してやっていない事が沢山ある。
時間がない、頭がない、体力がない、お金がない、技術がない、運動神経がないetc...
シーカヤックに関しては、特殊な技術や、体力、
お金(時間はある)を持っていないぼくが出来るのだから、
準備をすれば、その人なりの挑戦や、世界を広げる旅は誰でも出来るのだと確信している。
誰でもいうような話かもしれないけれど、
少し、ぼくのチャレンジのやり方を紹介しようと思う。

pagetop

各々のチャレンジ

体が細くとも、海を渡るために、大きな筋肉を作る必要性は、今のところ感じたことがない。
ホワイトウォーターのカヤッカーや、
ビックウェーブを乗りこなすサーファーのような体は必要ないだろう。
軽い負荷をかけるような運動を日々行っている事の方が、むしろ大切だと思う。
基本のフォワードストローク、スイープ、ブレイス、ロール。
ぼくはこれ以外の技術を持っていない。
披露するようなパドルさばきも無いし、カヤックサーフィンもうまくない。
人より早く漕げるわけでもない。基本の練習はとても地味だが、誰にでも効果がある。
他人と比較して、効果の度合いを計る必要はないし、学び方に正解はない。
どんなやり方をしても良いと思う。

遠征前の準備はとても重要で、成否の鍵はここにかかっている。
まず、その遠征に必要な事をピックアップしていく。
長距離の航海が求められるとすれば、事前に必要な距離を漕いでみる。
漕いで、自分の弱点を探す。
体のどこに不具合が出たかを確認、また漕ぐ。体の調子や変化を確認し、修正していく。
波の海が予想されれば、その練習、夜間航行が必要であれば、その練習。
事前にするのは、カヤックの事だけではない。陸に上がってからやることも大切だ。
火を使う方法、キャンプの技術、自給自足が必要であれば、食料を得る知恵を習得する。
あらゆる状況を想定して自分はその時どうなるのか、出来るだけ正確に把握する練習をする。
死なない為の段取り、準備を自分の基準で出来るかどうか。
誰かが危ないと判断したから、誰かが安全と助言してくれたから、
という決断の仕方は避けた方がよい。
でないと海に出る為の自分のものさしは作れない。
逆に言えば、ものさしが出来れば、海に出られるかの作戦が作れるようになるのだ。

もし、自分の技術や体力が、その遠征のレベルまで達したというイメージが出来なければ、
見送ることにしている。仮に、行けるイメージが出来て出発を決定しても、
現場で想定外のことは必ず起こるものだ、と頭に入れておく。特に単独行の場合は、そうだ。
自分で判断して、自分なりの答えをだしていく作業(考え方)を
身に着けないといけない理由はここにある。
一人ぼっちの現場で、聞いたことも、見たこともない、
自分で解決法を探すしかない事態になってしまうことは沢山あるのだ。

こうした練習で海に出るのだが、周囲から反対されることがよくある。
周囲から見れば、ぼくも無謀に見えるらしい。
リスクがあり過ぎる、他人に迷惑がかかる事を考えていない、と言われる事もある。
伴走船をつけて海に出れば、リスクも無くなり、記録も残せるし、
他人にも迷惑がかからない、と考える人もいる。この辺りの判断は難しい。
求めている事が違う世界の為、正解はだせないだろう。
僕は海に出る人であればどんな立場の人であれ考えなくてはいけない事があると思っている。
そして、その基本に則っていれば、各々が各々のチャレンジをしても良いと考えている。

ベテランであれ、初心者であれ、漁民の子供であれ、
全力を出せば行けるかもしれない、という状態で海に出る人はいない。
出し切って良いのは、本当に死が迫っている時だけである。
自分で自分の命を守り、自然と向き合うリスクを負わなくてはいけない、という基本は、
大昔から人と自然の関わりの中で求められてきた事だろう。
これは、大航海の時も、隣のビーチに行くような時にでさえ、同様に課せられる。

しかし、例えとして伴走船があれば、普段、自分一人では出来ない無理が過剰にできてしまう。
海に出る者の基本を蔑ろにすれば、あるはずのないドラマが容易に生まれてしまう。
スポーツとしてのパフォーマンス、記録が目的であれば、それはそれで良いのかもしれない。
結果的に、感動を得られるかもしれないが、文明の力で不確定要素を排除し、
安全地帯で事を進めるのは、街の論理だ。これでは、海と人の理解は深まらない。

未知の世界への好奇心や、自力で海に出る判断が出来ること、
海と共に生きる人に出会うこと、自らも海で生きる知恵を学ぶこと、
海と人がどう関わっている(関わってきた)のか、
そんな世界を知りたくてぼくは旅をしている。自然の前では、人は弱い。
皆、それぞれの環境に適した形で、死なない準備を必死にする。
海で、人が生きる為に考えなければいけないことは何か。
そうした事を大事にしながら、これからも旅を続けていきたい。
どんなことでもいい。カヤックでなくてももちろんいい。
ちょっと隣の浜まで、その先の島まで、それぞれの海へ一歩踏み出してみてほしい。
多くの人に旅の素晴らしさを経験してもらいたいと思うのです。

pagetop

今回の遠征も、感謝の旅になりました。
応援してくださった皆様、本当、ありがとうございました。
この場をかりて、お礼申し上げます。

海が人を引き合わせてくれる。
きっと昔の人も、そうして旅をしていたのだと思います。

各島の皆様には、現地にて特別な配慮を頂きました。
この場を借りて、お礼申し上げます。ありがとうございました。

(カヌーライフ掲載記事)

 

八幡 暁

page top