航海記録


|フィリピン マニラからブスアンガ島 2008年|

今回の舞台はフィリピン南西部。
マニラ南部からフィリピン南西部に浮かぶ、ブスアンガ島を目指します。

かつて、海を自由に往来していた人々が暮らしている海域です。
時には、漁師、ときには海賊達が闊歩していた海でもあります。

無数に散らばる島々の中で、現在はどのように暮らしているのでしょうか。
自らの目と腕で確かめてきたいと思います。

フィリピンマニラ南部からブスアンガ島

【活動概要】

遠征遂行者:三浦務 亀田正人 八幡暁 
活動地域 :フィリピン マニラ南部~ブスアンガ島
活動期間 :2008年2月21日 ~ 3月4日まで
移動    :一部、車、船で移動している場所があります


 


Great Seaman Project フィリピン2008

フィリピン・ブスアンガ遠征

今年の2月、ブスアンガ島を目指して旅に出た。
フィリピン・ルソン島南部を出発し、ミンドロ島を経由した後、
カラミアン諸島のブスアンガ島へ渡る計画だ。
全行程320km、2週間の航行予定である。
40km以上の海峡横断が3つ。
海の情報が少ないことが、横断を難しくしている。
向かった島々に上陸出来るかもわからない。
仮に上陸出来なければ、100kmの海峡横断になる場所もある。
簡単な遠征ではない。
今回は、アウトドアメーカー勤務の闘魂シーカヤッカーこと三浦務と、
大学探検部出身のフリーカメラマン亀田正人、僕と3人で行うことになった。
2007年、外洋の波が5メートルにも達する荒れた海を、
宮古島から石垣島へ(120kmの海峡横断)共に渡った仲間である。信頼できる頼もしい男だ。
チームでの挑戦、ということが僕にとっての、もう一つの楽しみであった。

3艇のフェザークラフト、3人の男で渡った。そのレポートである。

出発前

ルソン島からミンドロ島へ渡り、ブスアンガ島まで、40Kmを越える海峡横断が3箇所ある。
「今年は、余裕で渡れそうですね、距離も短いし」
僕は、周囲の声と、反対の事を考えていた。
今回は、簡単ではない、と。
情報の無い海を渡ることは、どんなときも難しい。
事前の予測は、海図が頼りである。
当然、想定外のことが起きやすく、最悪の事態を考えて作戦を立てる。

干潮、満潮に向かうときの潮流の方向とスピード。
スタート地点から、流されてもよい距離。
風と波の大きさ。
自分が漕ぎ続けられる時間、スピード。

どの地点で、どういう状況まで進むか、どうなったら撤退するのかの線引きをしていく。
現場での判断は、曖昧になりがちだ。
海と自分の力を確認していく大事な作業を進める。

島を渡ることと、沿岸を漕ぐことと大きく違うところは、
エスケープルートの選択肢が少ないことである。
天候の急変や体調の急変などが起こったとする。
沿岸の場合、上陸、という選択肢がある。
最悪、カヤックを上げられなくとも体だけでも陸に上がれれば、生き延びるチャンスは大きい。
海原の上では、どうだろうか。
カヤックと人が離れれば、危険な状態になる。
人間が住む世界でないからだ。
予期せぬ事態が起きても、自力で漕ぎぬかなければいけない。
ともかく漕ぎぬく為の体と心の準備が必要になる。

出発前、単独で24時間の連続漕行する意識を持って挑んだ。
海で離れ離れになることも考えられる。もし島渡りに失敗した場合、
情報の無い海の中を100キロメートル以上、漕ぎ続けなければいけない。
当然、夜間の航行になる。
向かい風、大波に遭遇すれば、24時間を越える航行が十分に考えられた。
24時間耐えられれば、朝が来る。
36時間が勝負の分かれ目だ。
自分の体と心を理解し、自然の中で死なない為に、事前の準備を整えていった。

page top

ルソン島 出発地

出発地、ルソン島南部の街、カラタガンに到着。漁師から、海の情報を集めた。
大きな特徴は3つ。

1海は常に南シナ海に流れている
2波が大きい
3風が強い

情報が正しければ、どれもカヤックにとっては、やっかいな話だ。
ビーチに立ってみると、全くの凪にみえていた。
風裏を見ているから静かなのだろうか。
海峡に差し掛かれば、一気に風が抜けるかもしれない。
3人は、自分達の予測と照らし合わせながら慎重に段取りしていた。

もし、風と潮流で、西へ時速5km以上で流れていれば、一端、ルソン島に戻る。
時間がかかっても、南シナ海に流される、という最悪の状況を避ける為だ。
なぜ時速5kmなのか。
スタート地点より南シナ海までの距離は西へ30km。
時速5kmで海が流れるとすれば、6時間で大海へ流されることになる。
島と島の間は南へ向かって40km弱。
ここを8時間で漕ぎぬく予定である。
単純に考えて、南へ、島を目指して漕ぎ続ければ、
6時間経過した時点で島を外してしまうことになる。
南東へ進路をとれば、流れに逆らいながらの航行になる。
10時間、12時間と時間がかかってしまう。
不足の事態が起きた場合を考えると、12時間以上。
夜間の航行も考えておかなくてはならない。
夜は、リスクが増大する。
5km以上で流れているとすれば、無理をせず、スタート地点を東にスライドすることにした。
東にスライドすることで、南シナ海へ流されることを防ぐ為である。

早朝、出発。

風を遮っていた半島を出てみると、北東風が風速5mほどで、吹いていた。
GPSは南にゆっくり流れてることを示している。
本来、この風なら、カヤックは南西に2,3km以上で流れいる筈。
西に流れていないということは、東への何らかの流れがあるということになる。
つまり、潮流は早くても2,3kmで、南シナ海でなく、内陸へ向かって流れているのだ。
漁師の話に間違っていたことになる。
西へ向かう風と東への流れが相殺された結果、南への流れだったと想像する。

予想していたように、上げ潮では南東から東よりの流れ、
引き潮には、西への流れているのかもしれない。
注意しながら毎時間、海の流れをチェックしていく。
そして、この海の流れの予測が、確信に近づいていった。
漁師の話は、間違っていたと。

3人のペースがずれて、差が開きはじめた。
波間に見えなくなるが、声が届くくらいの距離を保ちながら進んだ。
予定より遅れがちだったが、心配はいらない。
流れ、風、波、全ての状況を判断する。
もう危険に陥ることはない少ない。

荒れた海では、水を飲むことさえ、ままならない。
しかし、今回は、カロリー補給も出来ていた。
長時間の航行の心配もなくなり、エネルギー切れを起こすこともない。
カヤッキングの心配は無くなっていた。
気をつけていたのは、体調の急変、日射病や熱射病の類。
体に水をかけて冷やしながら進んだ。

漕ぎながら、僕は漁師の言葉を考えていた。
なぜに地元の漁師は、海を読み違えたのか。
彼らが使っているアウトリガーカヌーの形と耐久度。
南シナ海に漂流する恐怖。
どれだけこの海で漁師の命がたたれのか、ということを考えると、理由もわかる気がした。
彼らにとって最悪の事態は何か。
それは南シナ海に投げ出されることなのだろう。
おそらく小さい頃から、その教えを叩き込まれてきたのだと思う。
船を壊してはいけない。
最善の策は、無理をしないこと。
無理して漁をすることはないのだ。

ミンドロ島は、海面から一気に1000m以上かけあがる山が連なっていた。
熱帯ジャングルが斜面に張り付いている。
緑が緑に絡みついていた。
海岸のわずかな平地に、椰子の木が生い茂り、天然素材とわかる小さな家々が見える。
陸上からのアクセスはない。
地図には記されていない。
船でしかこられない場所だ。
山肌は全て、緑に包まれている。
電気や水道を引いていないことが、すぐに見て取れた。
竹や木で作った高床式の家が、風景に同化している。
人の気配がない。
家の4倍はあろうかという大きな椰子の木が風に揺れていた。
この村人が友好的な集落だといいのだが…

集落の端に上陸する。
誰も出てこない。
しばらく村の反応を見ることにしよう。
旅のファーストコンタクトは、いつも緊張感があるものだ。

page top

ミンドロ島到着

島に上陸した僕ら3人は、8時間も漕ぎ続けた体を伸ばす。
水分を補給し、パワーバーを口に入れた。
これは、腹どまりが良く、効率的にエネルギーを摂ることが出来る。
遠巻きに子供や大人が、こちらを見ていた。
たいてい好奇心の強い男が寄ってくるものだが、誰も来ない。

ビーチは、黒い砂が混じっている。
裸足だと熱くて歩けない。
白砂でないということは、この海が、珊瑚礁の海ではないことを現している。
靴を履こうか迷っていると、ひょっこり小さなオバァが歩いて来た。
年齢不詳。
皺が深い彫りになり、皮と骨だけになっている。
歯が随分欠けていた。
わずかに残った歯は、煙でいぶしたように黄色い。
竹篭をさげている。畑仕事に行く途中なのだろうか。
僕等は笑顔で声をかけた。
オバァは、微笑みつつ現地の言葉で何か言っている。
おそらく、どこから来たのか?と言っているのだろう。
僕等は、笑顔とゼスチャーで応答する。
笑顔は、最大のコミュニケーションツール。
結果的に、通じなくてもよい。
顔をあわせて交わることが大切だ。ひたすら笑顔。
会話は出来ないけど頑張ってね、というように、
オバァは、ひこひこ海岸線を歩いて行ってしまった。
木陰にいる村人は、どういうふうに見ていただろうか。
快く思っていない可能性もある。僕等は、刺激しないよう、集落に向かった。

英語で挨拶すると返事が来た。
こちらも笑顔、向こうも笑顔で対応してくれる。
オジィの周りに、子供達がまとわりついていた。
まだ警戒している。
名前と、どこから来たのかを伝えた。
村人が柔らかい笑顔になる。子供も少し笑った。
こちらも怖いが、向こうも怖かったのだ。
オジィが、自分はネイティブ・ミンドロだと言った。
彫りは浅く、顔は日本人に近い。穏やかで優しい話し方をする。
「今、ルソン島から渡ってきたのだけど、木陰で休ませてもらえませんか」
「いいよ。あの船できたのかい」
集落の住民もパドルを使い、小さなアウトリガーカヌーを操っている。
だから漕いできた、という事実を理解していた。
手漕ぎで海を渡ることが、どういうことなのか、わかっているのだ。
彼らと僕らを一気に近づける。
クルーザーやヨットの旅では、こうはならないだろう。

この村には、宣教師が入っていて、50程の家族が暮らしているという。
船が並んでいるのをみると、魚は取れるのだろう。
透明度はあまりない。
潜り漁でなく、釣りをしているのだろうか。
家のまわりはとても清潔だ。ゴミが全くない。
小さな畑があった。
裏手には、椰子の木が沢山はえている。
南国では、椰子と人はセットだと考えて良い。
ココナッツは魔法の実である。
水分が手に入り、高カロリーの食べ物になり、
油が手に入り、燃料にもなる。
この家では、ココナッツの殻に花が植えてあった。
天然素材のガーデニング。
そして椰子の葉は、家の屋根にも使われている。
乾燥させた葉を、折っては重ねて隙間を埋めていく。
それを屋根の骨組みに乗せていた。
電気は、油ランプ、燃料は流木と椰子。
庭の脇にから水が溢れ出ている。
「あの水は、飲めるのですか」
「沸かさないでも飲めるよ、山からの天然水だから」
口に含むと、まったく癖がなくて飲みやすかった。
美味しい。
僕等は、そこで顔を荒い、水をがぶ飲みし、ペットボトルに補給させてもらう。
乾季でも水があることが、どれ程大切なことなのか。
フィリピンの豊かさを感じる。
おそらく何百年も、こうした暮らしをしているのだろう。
その土地の自然に調和して生き抜きている。
人の命を繋いでいる姿から学ぶものが多い。
地球へのインパクトが少ない暮らし方の見本。
僕らが忘れかけている、幸せの形があるのかもしれない。
僕等は、旅を続けることを伝え、この村を後にした。

100キロメートルに及ぶミンドロ海峡。
この旅、一番の難関を越えた。
あっけないほど静かな海だった。
波がカヤックのデッキを洗うことがない。
潮流に流されることもない。
こういう海に当たることもあるのだ。

page top

カラミアン諸島

フィリピンの中でも、とりわけ美しい島が多いと聞いていたカラミアン諸島に入る。
その第一歩、タラ島に上陸した。
予定していたより早い時間に到着する。
まだ日差しが厳しい。
数日のうちに僕らの肌は、こげ茶色になった。
唇は日焼けでただれている。
疲労もたまっている事だし、午後はゆっくり休もう。
普段なら、上陸してから、海へ潜りに行くのだが、この旅はそれが出来なかった。
出発前に治療した歯痛が原因である。
水中に潜ると、水圧が神経を圧迫した。
刺すような痛みが走る。
とてもじゃないが潜れなかった。
歯医者がない地域では、虫歯が出来たら、歯を抜いてしまうと聞いたことがある。
ミンドロ島で会った、オバァの顔が思い出された。
ここで生きていくならば歯を自分で抜いていただろう。
芸能人だけでなく、一般人こそ歯が命だ。

この村では、次から次へと人がやってくる。
おかしな人間が来た、という噂が、広がったのだろう。
一度は見ておこうということか。
そして、カヤックと僕らを眺めていく。
ミンドロ島の人と顔を見比べると、彫りが深い。
海峡を越えて、民族が少し変わったのだろう。
海も、珊瑚礁の海に変わっていた。
白砂にエメラルドグリーンの海。
誰もが思い浮かべる南国の景色である。

子供達がはしゃいで、僕らの前を行ったり来たり。
大きい子供が、小さい子供の面倒を見ている。
東京で、こういう様子は久しく見ていないと思った。
こちらが話しかけると、恥ずかしがって逃げてしまう。
しげしげとシーカヤックを見ている男がいる。
特にカヤックのバウ(船首)の形が気になるようだ。
ひとしきり眺めた後、船体を撫で、軽く叩く。
少し笑い、顔を小さく左右に振りながら、恐れ入ったよ、と言いたげだ。
自分の船と見比べているのだろうか。

集落を散策することにした。
村に1本だけの椰子の木街道を歩いていく。
人がすれ違えるくらいの幅である。
道には、白砂がまかれていた。
裸足で歩くと気持ちよい。
木陰と白い地面のコントラストが美しかった。
僕の住んでいる沖縄も、昔はそうだったという。
竹富島では、人工的に白砂をまいているが、裸足であるいているのは水牛だけだ。
人が素足で歩ける島があったら素敵だと思った。

道の真ん中で、黒豚が昼寝している。
ここは地面が平らで、豚にとっても居心地が良いのだろう。人の往来も気にせず動かない。
人も構わない。
あちらにも豚。
こちらにも豚。
食べて横になるとブタになる、とはよく言ったものだ。
鶏がせわしなく虫をついばんでいる。
ひよこが立て続けに後を追う。
食べ物、家畜が豊富で、生活がかいまみえる。

男が船を作っていた。
カヤックが気になって仕様がなかったオジィだ。
「これが俺の船だよ」と言っているのだろう。
笑いながら、自分の船を指差した。
船底を船首から船尾にかけて一枚の板で作っている。
サイズは小さいが、これも竜骨船というのだろか。
沖縄の船サバニにどこか似ている。
僕らのカヤックに何か刺激を受けて、新しい形の船が生まれるかもしれない。

人や文化は、こうして混じり、移動していったのだろう。
よその海から人がやって来る。
1泊、2泊と島に立ち寄って、また旅立つ。
中には、その土地に住み着き、子供を作る者も現れる。
島人は、よそからの新しい知識を自分達なりに理解し、新たなものを作り出す。
そして言葉もまた少しづつ交じり合い、変化していくではないか。

page top

生きること

「三浦さん、亀ちゃん、ココナッツを自分で割って食べてみませんか、
これが出来ないと南国では生きていけませんよ」
僕は、自分が海に行き始め頃を思い出していた。
魚を獲れるようになっても、どうすれば美味しく食べれるのかわからない。
わからないから、丸かじりをしたこともあった。
椰子をもらっても、食べ方がわからない。
僕等は生きる術を持っているだろうか。
この旅では、自らが食料をとり、処理し、食べる
、海で生きることを学ぶことを目的の一つにしている。
「外皮を剥がして、中の殻を割れば良いだけです」
三浦さんは、ナイフで挑戦。
亀ちゃんは外皮にかぶりついて皮を剥いでいる。
時間はかかったが、中の殻が出てきた。
適当な石を手にとって、力任せに叩き始める。
海賊のような風体で、三浦さんが何かぶつぶつ言っている。
殻が割れて、ジュースがこぼれ出す。
続けて亀ちゃんの椰子の実も割れた。
水分は、大切にペットボトルへ入れる。
青い香りとココナッツの風味が、乾いた喉に入る。
2人の椰子の実ジュースを比べて飲んだ。
熟し具合が違ったのだろう。
酸味があるのと、ココナツの風味が強いもの。
食料を得て楽しむ喜びは、何物にも変えがたい。
殻の内側についた実も食べ比べる。
「大切な脂肪分だ、美味いねぇ」
「これが、本物のココナッツだよ」
口にココナッツのカスをつけ、貪る。
僕等は、すっかり原住民のようになっていた。

ブスアンガ島の北部に浮かぶ小さな島、ディマクヤ島へ向かう。
ここに、クラブパラダイスというエコリゾートがあるのだ。遠征の主旨を理解し、
ゴール地点として、受け入れの協力をしてくれることになっていた。
「キンキンに冷えたサンミゲルが飲みたい…」
三浦さんは、呪文のようにこの言葉を繰り返している。
島に近づいてくると、赤い旗を振っている人が見えた。
スタッフがビーチで出迎えてくれたのだ。
到着時には、ウェルカムドリンクとギターの弾き語り。
スタッフのもてなしの心が、嬉しく、ありがたかった。

共に漕ぎ、共に海の世界を広げた達成感。
海と生きる人々に触れた充実感。
成功をわかちあう喜びは、単独では味わえない。
昔の人も、仲間と共に海を渡り、喜びを共有していたのだろう。
良い旅が出来たと思った。
オーストラリアから日本までの海域に、1本のルートを引いてみる。
まだ漕いでない場所は、フィリピン南西部、マレーシア・ボルネオ島、
インドネシア・ジャワ島からアルー諸島まで。各地の海人への興味は尽きない。

何年かかるかわからないが、急がず、焦らず、
生き方を学びながら、漕いでいこうと考えている。
海は広い。
まだ暫く旅は続きそうだ。

page top